言葉辞典出張版版

ネットに散らばっている言葉を集めている。それだけだ。

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

過ぎ去った春、待ちこがれる春。

おいおいおいおい!! これはふたなり業界が揺れたぞ、今!!!

そんなことってあるかよ

「Hなイラストさえ見れればそれでいい。男子にはHなイラスト以外に必要なものなど何もない」

頑張って、いつの日か私の腹を満たしてくれたまえ。 もしくは赤ちゃんを、我が子を生んでくれたまえ。 頼んだ。

そして、とうとう昨晩出航いたしました。 私に紙テープを投げることなく。

運動会撮りつづけてた名物おじさんの努力が我が家の洗面所にちょうど届いた話だった。

瞬足ってなんだろうってみんな迷わなかったんですか?

瞬足ってなんだろうってみんな迷わなかったんですか?

それは、回転する独楽が極まって澄むような静謐、生(いのち)の極み、いわば「死に似た静謐」ととなり合わせに感じたかもしれない。

彼女は幼い頃から海に憧れていた。そして、いつの頃からか彼女の死んだ兄が言っていた 「海なんて、どこまで行ったってありはしないのだ。たとい海へ行ったところでないかもしれぬ」 という言葉の意味がわかるようにもなってきたが、海を見ることは変らずに…

海への怖れは憧れの変形ではあるまいか

川はどこの部分が川というのではなく、流れていることに川の永遠の意味がある。憧れはあるところで潜み、隠れているが死んでいるのではない。

われらはもはや神秘を信じない。自ら神風となること、自ら神秘となることとは、さういふことだ。 人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。その具現がわれらの死なのだ。

人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかつたか」といふ大東亜戦争のもつとも怖ろしい詩的絶望を想起するであらう。 なぜ神助がなかつたか、といふことは、神を信ずる者にとつて終局的決定的な問いかけなのである。

奇蹟の到来を信じながらそれが来なかつたといふ不思議、いや、奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議といふ主題を、凝縮して示さうと思つたものである。

今、晩夏に沈む太陽は海を血潮のように染めていた。安里の中にはもう故郷に還りたいという望みはなかった。 海が2つに割れなかった時、故国の羊や人々はその夕焼けの海の中に全て消滅したのだと安里は考えた。 でも安里は夕焼けの色が無くなり灰色になるまで…

東のほうへ、どこまでも行くんだ